2026年6月12日配本予定の周司あきらさん著『パンセクシュアル宣言』のまえがきを公開します!

まえがき――パンセクシュアリティを脚注からタイトルへ移す
長らくパンセクシュアルは、脚注や補足でしか語られないセクシュアリティだった。「性的マイノリティや同性愛コミュニティのなかにはこういう人たちもいるんですよ」「こうした人のことも、ちゃんと忘れていませんよ」とひとまず配慮を示すために小さく書かれる、主役にならない性のあり方の一つだった。パンセクシュアルを自認する人たちはそれ以前にバイセクシュアルという言葉に出会うことが多いのだが、そのバイセクシュアルの情報も寂しいほど少ない。
だから、どうやらこの本は日本語圏では初めて「パンセクシュアル」を冠した一冊になる(必要に応じてバイセクシュアルを中心に記述する)。なんと責任の重いことだろう。パンセクシュアルには、これには当てはまらない人もいますよ、とまたもや補足だらけになりそうだ。
しかし問わなければならないのは、なぜバイ/パンセクシュアルは脚注や補足だらけで、にもかかわらずそれだけで済まされてしまうのか、ということだ。ここには不均衡がある。ごくシンプルにまとめてしまえば、フェミニズムは世の中の男性中心主義や女性差別を問題とし、同性愛のポリティクスは異性愛主義を問題としてきた。男性が優位に立つのは自然なことだ、異性愛が普通で同性愛は異常だという「当たり前」に対し、「それは当たり前ではない!」と挑んできた。パンセクシュアルの置かれた状況もそうしたジェンダー・セクシュアリティに関わる運動に多大な恩恵を受けているが、パンセクシュアルという境遇が否応なく照射するのはそれだけではない。また新たな地平なのである。
では、パンセクシュアルが問いたい世の中の「当たり前」、つまり規範や押し付けとは何か。それは第一に、なぜ社会はこれほどまでに性別を重視するのかということだ。そして第二に、なぜ人々は惹かれる対象を一つの性別だけに限定させるのかということだ。
パンセクシュアルはよく「好きになる相手の性別にこだわらない」「すべての性別に惹かれる可能性がある」などと説明される。というより、そうした人のことを「パンセクシュアル」と呼ぶようになった。パンセクシュアルの人たちは、一つ目の問いのように、性別を過度に重視する社会への疑問を持つことがある。その背景には、男女という二つの性別があることを自明視し、その枠に人間を振り分けつづけるシステムへの違和感がある。
通常、ある人の性別を特定するには、外見をはじめ声や名前、身体の使い方や着用している衣服、親しくしている人間関係や仕事での役職まで多岐にわたる材料が使われる(たとえば男友達の多い人は、その人自身も男性である可能性が高いし、「社長」や「マネージャー」など地位の高い役職についている人は男性である可能性が高い。本人と直接会う前に性別が推測されることはよくある)。人が誰かに好意を持つときも同様に、第一印象で相手の性別を判断しがちである。そして、「この人は女性/男性としての性役割をはたしてくれるはずだ」と一方的に役割を期待してしまう。だが、その期待は正当なものだろうか。
二つ目の問いは、恋愛や性愛など他者への惹かれに焦点を当てている。異性愛者(ヘテロセクシュアル)にしろ同性愛者(ゲイやレズビアン)にしろ「好きになるのは女性/男性だけ」と惹かれる対象を一つの性別に限定しており、社会的風潮もそれを「普通」であるとみなす。しかし、その「単性愛(モノセクシュアリティ/monosexuality)」の規範は不要ではないか、という問いが浮上してくる。モノセクシュアリティが自明視されると、異性愛と同性愛のいずれにもすっきりおさまらないバイ/パンセクシュアルの実態は、不可視化されたり逸脱とみなされたりする。
この二つの問い――なぜ社会は性別を重視するのか、なぜ人は一つの性別しか好きにならないことになっているのか――は、パンセクシュアルの人が社会構造によって抑圧されたり他者から偏見を持たれたりせず、ただただパンセクシュアルであるために、問い返すべき障壁である。バイ/パンセクシュアルの集団は、メンタルヘルスが不調であったり、孤独感を持っていたりする人も少なくない。自分を否定しないためにはこうした本が存在することも一つの希望になると私は信じているが、バイ/パンセクシュアルの人々が何かに邪魔されることなくバイ/パンセクシュアルであるには、もっと大きな闘いが待っている。バイ/パンセクシュアルは性のあり方を示す言葉の一つであると同時に、それだけでは到底済まない生き方全体へと話を広げ、社会変革を促す視座をも提供するものなのだ。本書の終わりに「パンセクシュアル宣言」で掲げるように、他の理不尽な規範や差別に抗っていくことも、私やあなたがバイ/パンセクシュアルであるためには欠かせない。
本書はバイ/パンセクシュアルという生き方に親和的な人々の経験と、その集合体として編まれた理論を組み合わせて構成されている。まず言葉の使われ方について知りたい人には第一章から順に読んでいただくのがおすすめだが、実際にバイセクシュアルやパンセクシュアルという言葉に馴染みある人たちがどんな生き方をしてきたのかに関心がある人には、第二章や各章の間に挟まっている三名との対談から読んでもらっても構わない。「パンセクシュアル」がようやく本のタイトルになった、そのことの意味を一人でも多くの人と分かち合いたい。
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